• 2019年6月にシルクロード(Silk Road)を旅行しました

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中国の都市「西安」〜「敦煌」〜「吐魯蕃(トルファン)」〜「烏魯木斉(ウルムチ)」の2800kの旅です。
2000年を超える歴史が信仰をとおして、感動の芸術としてそこにありました。
厳しいドラマを運んだ広大な砂漠と対照的に、見渡せが美しい山脈が連なっていました。
それは長い歴史を変わる事なく静かに見守っている様でした

「シルクロード」


紀元前2世紀頃からおよそ1000年に渡って国際的な交易や文化の交流が行われ、古代の中国と西洋を結んだ交易路。西洋へは絹が,中国へは羊毛,金,銀, ネストリウス派キリスト教(景教)などがもたらされました。

2014年、中国の長安(現・西安)や洛陽から敦煌を経て中央アジアに至る全長約8700 キロメートルのルートがユネスコの世界文化遺産に登録されました。



「西安」


西周が初めてここに都を定めたのは紀元前11世紀のことで、以来、秦・漢・ 隋・唐など13の王朝がこの地を都としてきました。その間およそ2000年。 西安は、古都と呼ぶにふさわしい歴史を持ち、シルクロードの起点でもあります。

日本との関わりも強く、小野妹子、阿倍仲麻呂、空海、最澄など、多くの日本人が遣隋使、遣唐使の時代から足跡を残しています。
空海ゆかりの「青龍寺」へも行きました。



「西安の城壁」


西安の町の中心部は、明の時代(14世紀)に作られた立派な城壁に囲まれています。城壁の東西南北に門があり、その4箇所から城壁の上へ登ることができるようになっています。

城壁の上はまるで広い道路のようです。城壁は一周約14キロ。カートや自転車での移動などできます。歩くと40時間あまりかかります。

その規模の大きさはいかに異民族の侵入が大きいものだったか分かります。
喫茶店もあり不思議な風景も見られます。



「兵馬俑」


1974年に発見された「兵馬俑」は、世界の考古学史上20世紀最大の発見とされています。
兵馬俑は中国初代皇帝の秦始皇帝陵の近くに位置し、始皇帝陵を永遠に守る陵墓の副葬品として、約2200年前に埋葬された今衛師団です。

現在まで発見された8000体、それぞれに細やかな作りで風貌も違います。等身大の大きさで平均1.8m、馬や戦車、青銅の兵器もあります。
兵馬俑の規模の大きさにも驚きですが、その俑ひとつひとつの作りの細やかさ美しさにも驚きです。



「敦煌」


中国甘粛省北西部,党河のオアシスにある都市です(別名は沙州)。

古代から河西回廊の西端として前漢(BC206〜24)から栄えてきました。
南東の「敦煌莫高窟(ばっこうくつ)」には4―14世紀の壁画,彫塑などが残されており、仏教美術として世界最大の規模を誇っています。

南には鳴沙山,月牙泉があり,北西に玉門関,南西に陽関の遺跡があります。

子供の頃「井上靖」氏の「敦煌」という本を読み漠然と敦煌に憧れを持っていました。まさか当時敦煌に来れるとは思ってもみなかったです



「鳴沙山と月牙泉」


「鳴沙山」は山といっても実際には特定の山を指すのではなく、この一帯に砂が堆積して出来た山の様な砂丘の総称が鳴沙山と呼ばれています。
砂丘はなだらかな放物線を描いて起伏し、美しく重なり広がっています。

「月牙泉」は鳴沙山のふもとにある砂漠の中のオアシスで、優雅な三日月の形をしています。
祁連山脈からの地下水が月牙泉を潤していて、2,000年に渡って枯渇することがありません。ほとりには楼閣が復元されています。

日本の画家「平山郁夫」氏の名前が現地ガイドさんから出てきました。彼が描いた風景です。



「敦煌莫高窟」


4世紀から約千年間、元代に至るまで彫り続けられた。大小492の石窟に彩色塑像と壁画が保存されており(僧院も合わせると735の石窟)仏教美術として世界最大の規模を誇っています。

アラブやヨーロッパとの交易ルートが圧倒的に海路になったことなどで、莫高窟は忘れられた存在となり砂漠に半ば埋もれた存在となりました。
しかし1900年に王円籙が敦煌文書を発見したことにより、この莫高窟が再び注目を浴びる事になり、復元と保全の努力がなされています。

砂漠のなかをバズが進むと「莫高窟」が忽然と現れました。洞窟を仏教界の美の殿堂としたその仕業、ただただ無心の...祈り... があり癒されました。



「吐魯蕃(トルファン)」


吐魯蕃(トルファン)とはウイグル語の「低地」を意味しウイグル自治区に位置しています。

このトルファン盆地は世界有数の低地で年間を通して雨がほとんど降らず、とても乾燥した土地です
しかし、盆地北に連なる天山山脈の雪解け水が地下水路(カレーズ)を通してトルファンの街を潤し、水の豊かなオアシス都市となっています。

この豊富な水を利用して農業が盛んで特にフルーツが豊富です。
郊外にはぶどう畑が広がっており、市場にはフルーツそして干しフルーツが多く並んでいました。

おみやげも干しフルーツを加工したお菓子が多くなりました。



「火焔山」


火焔山は新疆ウイグル自治区の天山山脈付近にある丘陵です。
長さ98キロメートル、幅9キロメートルにわたって横たわっています。

砂岩が侵食してできた赤い地肌には、炎を思わせる模様ができています。迫ってくるような赤い丘陵の光景は強く印象に残っています



「ベセクリク千仏洞」


ベセクリク千仏洞は火焔山の山中を流れるムルトゥク川の沿ったオアシスに造られた石窟寺院です。
6世紀の麴氏高昌国時代から造られ始め、13世紀元の時代まで造られ続けました。現存する83の窟です

偶像崇拝を禁止するイスラムによって千仏洞の壁画の多くは泥を塗って隠され、人物の顔は破壊されました。
20世紀に入りドイツ調査隊やイギリス、ロシア・・・、そして日本の調査隊も壁画を持ち帰りました。
ベゼクリク千仏洞の壁画は残念ながら多くの被害を受けました。

それでも残された美しい壁画は、険しい火焔山の谷間での信仰心を感じるのに充分です。


「烏魯木斉(ウルムチ)」


新疆ウイグル自治区に位置する自治区首府で自治区人民政府が設置される中国西部最大の都市です。ウルムチとは美しい牧場という意味です。

イスラム文化が支配的な地域で、新疆国際バザールはイスラムの寺院や雑貨も見る事ができました。
ここでは警備が一段と厳しく、一度は観光バスにもポリスが乗り込んできました。

でも注意を守りあまり緊張する事なく観光を楽しみました。


参考資料


「new-trip.net」「kotobank.jp」「trip.net」「Wikipedia」「tocana.jp 」「travei.jp」「e-asianmarket.com」「ask-planning.co.jp」「y-tohara.com/youkan-2」