• 2019年11月にスペイン (Spain) を旅行しました

  • logo-kbdot
  • (kbdot)

スペインの都市ゴルドバの「メスキータ」とグラナダの「アルファンブラ宮殿」を旅行してきました。
スペイン中世の歴史が刻まれ、イスラム教とキリスト教の文化が混在する不思議な世界がありました。
歴史に残されたイスラム文化は、言葉での表現は難しい美の芸術とそこに込められた深い祈りがありました。

「メスキータ」
アンダルシア地方の古都ゴルドバの旧市街の中心に建つ大モスク「メスキータ」
1984年にメスキータが、そして1994年にはアルカサル、ユダヤ人街などコルドバの旧市街全体が世界遺産登録されています。

8世紀半ばにゴルドバはイスラム支配下におかれますが、その前にはキリスト教の聖堂がありました。
その後 人口増加で手狭になり聖堂を買い取り、そこに新たなモスクを建立しました。
そして増築を重ねた結果10世紀後半に現在の大モスク「メスキータ」が完成しました。

しかし13世紀にレコンキスタ(国土回復運動)のキリスト教勢力により再征服されました。
その480年間に及ぶイスラム文化の頂点を極めるゴルドバ旧市街地に建つ大モスク「メスキータ」です。

レコンキスタが終わりキリスト教王国の支配下になっても、しばらくはメスキータにはなんら手は加えられませんでした。

16世紀 国王カルロス1世(イザベル女王の孫)の時代、メスキータの一部を壊しキリスト教の大聖堂が建立の許可を与えました。

カルロス1世は出来上がったその姿をみて「どこにでもある建築のために、世界にひとつしかない建物を壊してしまった」と嘆き怒ったとそうです。

それ以来このモスクの改築は行われていません。そしたメスキータは往時の姿をかろうじて今にとどめている。

キリスト教徒とイスラム教徒の間で翻弄された祈りの殿堂「メスキータ」です。
言葉での表現では難しい美の芸術があり、そこに込められた深い祈りを感じます。






「アルハンブラ宮殿」イスラム教の王たちが酔いしれた最後の宮殿「赤い城」
1984年にスペイン南部、グラナダにある「グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン地区」が世界遺産に登録されています。

アルハンブラ宮殿は大きく分けると、アルカサバ要塞、カルロス5世宮殿、ナスル朝宮殿、ヘネラリフェ庭園の4つの部分で成り立っている。 アルハンブラ宮殿に最初に造られたのはアルカサバ要塞で1230年〜40年頃、キリスト教徒軍の侵攻に備えてのことでした。

それから170年の間に増築が重ねられ、「赤い城」というアルハンブラ宮殿が出来上がりました。それは光と水とアッラーへの信仰心からなるイスラム美術の結晶でした。

アルハンブラ宮殿は周囲2キロと広大です。そのなかで中枢部はナスル朝宮殿(サナリーエス宮殿)です。 ナスル宮殿はナスル王朝時代に築かれた3つの宮殿とそれに付随する建物です。

その3つとは「メスアール宮」「コマーレス宮」「ライオン宮」で、いずれも回廊でつながって西から東に向かってこの順序で並んでいます。

「メスアール宮」1230年〜40年頃 キリスト教徒軍の侵攻に備えて、アルハンブラ宮殿に初めて造られました。

「コマーレス宮」14世紀中頃に造られ、ナスル王朝宮殿(サナリーエス宮殿)のなかで最も重要な宮殿です。大使の間も王座もここにあり、その建物や中庭の池、回廊、塔などが美しく配備され歴代王朝の尊厳と優雅さを偲ばせます。

「ライオン宮」14世紀後半にナスル王朝の最盛期をなしたムハンマド5世が造ったものです。王や王妃たちの居住空間であっり、鮮やかで繊細なイスラム文化にここでも圧倒されます。ここではハーレムの世界も繰り広げられたそうです。

「ヘネラリフェ庭園」はアルハンブラ宮殿の離宮で1319年に整備され、ナスル朝の夏の別荘として使用されていました。 この離宮の特徴も”水”ネバダ山脈の雪解け水が引き込まれいたる所に泉水や水路があり、「水の宮殿」と言われるのがわかります。

ここでも「レコンキスタ」により追放されたイスラム教徒、しかしその足跡をイスラム文化として鮮かに残しています。





参考資料


「travel-star」「tabichannel.com」「trip.net」「Wikipedia」「travei.jp」「TripAdvisor」